「考える」ことが、本当に必要なのか?

AIが優れたアイデアを提案してくれる時代になっても、「人は本当に考える必要があるのか?」という問いに、完全な答えはありません。でも、開発者である石井とのやり取りを通じて、私自身が改めて感じたのは、「自分の頭で考えることは、たとえAIが進化しても、なくならない」という感覚でした。

AIにできることが増えるほど、「自分で考えることの意味」について、立ち止まって考える機会が増えたように思います。

「歩くこと」をやめない、という比喩

石井と開発会議を行った際に、こんな比喩をしていました。

「人は乗り物を発明しても、歩くことをやめてはいないですよね。」

いくら便利な移動手段があっても、人は日常的に歩きます。健康のためだったり、考えごとをしたり、景色を楽しむためだったり。その行為は、効率だけでは語れない「意味」を持っています。

同じように、AIが発想のサポートをしてくれる時代でも、自分の頭で考えるという行為自体の価値は、なくならないのではないか――。そんな話になりました。

思考と身体のつながり

石井は日常的に山を歩いています。身体を動かすことが、創造性や発想にどんな影響を与えるか、最近もその関係について学会で発表し、ポスター発表部門で発表賞を受賞しました。

日本創造学会で発表賞受賞!「Imagine Card」(石井力重note)

身体と頭がつながっていることを、私たちはつい忘れがちです。でも、「考える」ことの原点は、もっと体感的で、動きのあるものだったのかもしれません。

「創造的選択(Creative Curate)」という言葉があります。これは、「どんなアイデアを選び、どう磨いていくか」という、人の判断力にまつわる考え方です。でもその前に――「そもそも、どんな視点で考えるか」を持っているかどうか。それが、創造的な思考の出発点なのではないでしょうか。

Xの投稿で見かけた、ある気づき

そんな話を頭の中で整理していたとき、X(旧Twitter)でこんな投稿を見かけました。

「クリエイティブな着想って、どうやって発想しようか、そのとっかかりを考える所から始まる。つまり『考え方の考え方』がすごく重要。
でもChatGPTにブレストさせてしまうと、その部分を全部やってくれてしまう。
本来は自分でやるべきだった“着想を得るための考え方を考える”というのを、やらなくなってしまう。」

これは、今の時代における創造的思考の危うさを突いている言葉だと感じました。

AIはとても便利で頼れる存在です。でも、それに頼りすぎることで、「自分の中から生まれるはずだった何か」を失ってしまうかもしれない。だからこそ、たとえ効率が下がったとしても、「自分の頭で考える」というプロセスそのものを大事にしたい――。そんな気持ちが改めて強くなりました。

AI時代に残り続ける「創造する力」

AIと人が協働する時代だからこそ、「創造的な選択」や「思考の起点を持つこと」がこれまで以上に求められているように感じます。

何を面白いと思うか。何を選び、どう磨き上げるか。
そして、どんなふうに問いを立てるか。
それはやはり、AIには担いきれない「人の営み」なのだと思います。


アイデアプラントオンラインショップでは、これまで「アイデアを生み出す」ことを助けるツールやゲームを扱ってきました。でも、本当に大事なのは、「自分で考える力を育てること」ではないか――そう思っています。

この3回にわたるシリーズでご紹介したのは、そうした考えに至るまでの対話や気づきでした。
これからの時代に向けて、少しでも「考えることの楽しさ」や「自分の判断で選ぶことの意味」を見つめ直すきっかけになれば嬉しいです。